今回の記事は私の「第1回目」の転職についてお話します。
結論から言うと、転職理由は「会社の人事異動で技術職から営業職へ配属され、技術者の将来を賭ける仕事が一切できなくなった!」という理由です。
私は今の会社に勤めるまで3回転職を繰り返していますが、転職3回ということは今勤めている会社を含めると4つの企業にご厄介になったことになります。
1回目の転職時は”ここが最後の居場所!”。2回目のときは”まだ若い、行け!”みたいな感じ。3回目は”もうこれで打ち止め!”みたいな感じでより良い転職先を決めたつもり・・・
ところがどっこい!企業はやはり「営利企業」ですから、社員にはお構いなく経営方針や人事配置を変えてしまいます。これを受ける社員がどれだけ自分でそれを受け入れられるかが転職するかどうかの分岐点にもなります。
今回はこの「生き物」の人事方針に翻弄されて、転職を余儀なくされた私の「第1回目転職活動記」を簡単にお話します。
1回目の転職決意|技術職から営業職への転属~技術の陳腐化に自分の将来が不安!
まずはじめに私の新卒就職時のお話をしますが、私の大学の頃って今みたいにインターネットが各家庭に普及している時代ではありませんでした。
(今現在40過ぎのおっさんですから)
今の時代に比べたらメチャクチャ不利ですよね。
当時の求人情報はキャリアセンターに貼られた求人票を見るか、大学教授の推薦を受けるかが就職先を探す手段でした。当時はまだ大手企業に縁故や推薦入社ができた時代です。
今では考えられませんね。大学のキャリアセンターに貼り出されている求人企業を毎日調べ、目ぼしい企業をリストアップして「四季報」などを読んで会社を絞り込むといったアナログチックなやり方でした。
その中で私が選んだ会社は理系企業です。
大学の学部が理工学部だったし、理系企業の方が給料が高いってこともあって、社会の厳しさも知らずセオリーどおりに準大手(現在は大手になっています)の不動産開発会社に就職しました。
それなりに有名な会社で給料も他に比べればそこそこ良い・・・社会を知らない学生にはものすごく光って見えた企業です。
ただ会社という「生き物」は、入社後じゃないと知り得ない「会社独自のやり方」がいろいろと出てきます。
大手企業は配置転換は当たり前!やりたい職種に就けない技術職
採用試験を無事に突破し新卒で入社した会社は、大規模土地造成から販売、ビル建築、各種構造物の設計・施工などを手掛ける開発デベロッパーみたいな会社で、今で言う「ベンチャー企業」の領域まで手広くやっている会社でした。(今も健在です)

理系企業が不況に強いのは今も昔も変わりません
入社後の配属先は「事業部開発課(仮称)」で、研修3ヵ月後に支店勤務(東京都)になり、各関連企業とタイアップしていろんな構造物の設計をやっていました。
仕事は忙しかったけどおもしろかったですよ!
自分で設計したものがそのとおりに造られるのを見て、”あーやっぱりこの会社で正解!”思いましたが、結局この会社は5年で辞めました。
入社4年目に部署移動で配属された部署が、自分の目指しているものとあまりにもかけ離れた部署に配属されたからです。(こらえ性がない?そうかも知れません)
大手企業は社内規模が大きく、技術系全般をやる事業部のほかに広報部とかデザイン部署とかの様々な部署があります。
ひとつ例を挙げると、宣伝キャッチを考える人は文系主体の人がやるので技術のことをまったく知らないわけですから、そこに技術の目と知識を持っている技術者が加わればキャッチにもリアリティが生まれるわけです。
なのでどんなに優れた技術者でも、自分がやりたい職種から一旦外れて、そういった部署に配属される人間が出てくるんです。
ただそれでもやりたい部署に戻れればいいです。
私の大学の友人は、私なんて絶対に入れない超大手建設会社に入社したのに、配属先は子会社の広報部みたいな技術とまったく関係のない部署に配属され、本社に戻れないまま会社を辞めましたから。
新卒から5年目|このまま負け組では終われない!
入社4年目以降は配置転換で地方の営業所(中国地方)に回され、開発できそうな土地や物件を見つけては支店・本社にプレゼンして情報を流すだけの仕事に就いていました。
科学技術とはまったく関係のない文系卒だらけの「調査部署」に配属されたんですね。同期の2/3の技術者も私と同じように地方の「調査部署」に回されていました。
転属辞令が出たときに上司からは、”新入社員が誰でも一度は経験する部署だ!”と言われましたが、これがまた配属された部署は技術者から見ればドラマの「ショムニ」みたいな部署(負け組)のように移るんです。(笑)
ここで良い成績を残さないとこの部署から抜け出せないのです。もちろんノルマも課せらるので、やっていることは社内の文系営業職とまったく一緒です。

私の技術はどこで使えばいいの・・・
肝心の給料はこの部署への配属でがっちり下がりました。
技術系の手当ては高いのですが、この部署は手当てというか、営業職みたいに消化したノルマ数に応じて手当てが出る!みたいな感じでした。
大手企業では転勤は当たり前!仕事も選べない!それは分かっているのですが、この部署で1年勤めた後に、「事業部開発課(仮称)」に残った同期(勝ち組)と話をすると設計技術力の差は歴然と変わっていました。
入社して5年目!惰性でこの業務をこなしているときに、この部署から何年も抜け出せずについに定年退職された技術者がいました。
それを知ったときに、心の中でくすぶっている言葉「退職・転職!」という文字が浮かびましたね。(笑)
技術職って、言い換えれば「手に職を持つ」ということです。
例えば理容師さん、美容師さん、鍼灸師さんなどは、”手に職がある”ということで幾つになっても働けるし、自分に武器(技術)がある分、食いっぱぐれがありませんよね。
そう考えた場合、もし私がこの部署から這い上がれなかったときには、自分には技術知識もクソも何も残らないわけだし、すべてが中途半端で終わるわけです。
途中で会社をクビにでもなったらタダの中途半端な営業屋としか見られないし、次の転職自体がむずかしくなるのが目に見えていました。
・・・てなわけで1回目の転職活動へと移るわけです。
1回目の転職活動|これはまずい!在職中は思うように転職活動ができない
ここから転職活動が始まるのですが、まず最初に困ったことが2つほどあります。
まず地方勤務では転職希望地(東京都)での活動と会社勤務との両立がむずかしいということと、求人情報があまりにも少ないという点です。
今では考えられないですよね。ネットがあるんですから。
転職活動の足かせ:会社勤めで思うように転職活動ができない!
この頃私は中国地方の地方都市に勤務していたので、仕事の関係上、簡単に転職希望地(東京都)に出向くことができませんでした。
当時、会社の休日は土曜日の午後と日曜、祭日くらいしかありませんでしたから。
それに相手方に合わせる休日出勤もあるので、またなかなか時間が取れないのです。
これは地方に転勤している人間にとってはかなりの足かせになりますし、仕事もあるので自由に活動できないことがもう目に見えています。
転職活動の足かせ:地方では転職希望都市の求人情報が少ない!
地方で転職希望地(東京都)の転職情報を探そうとしても地元の求人情報しかないのです。(今は違うと思います)
今でこそ”ネットがあるじゃん!”と言えますが、この1回目の転職活動時期はインターネットが各家庭に徐々に普及し始めた頃で、まだまだネット環境の整備が遅れていました。
それに当時のネットを見ても、今で言うリクナビNEXTといった転職サイトの情報がありませんでしたし、「転職エージェント」といった言葉すらありませんでした。
なので当時の求職情報って、「ハローワーク」かリクルートが出している技術系求人雑誌「Tech b-ing」などの紙媒体でしか見つける方法がありませんでした。
今では笑える話ですが、当時は情報が少なくて本当に困り果てました。(笑)
ついに退職届提出|転職が先か退職が先か!賭けに出る
今思えばバカですよね(笑)。普通は転職活動で会社が決まった後ですよね、退職届けを出すのは。ただこの頃は気持ちだけが先走りして、精神的にもかなり追い込められて疲れ果てていました。
今の自分の取柄は若さだけ!まだ若かったこともあり”賭け!”に出たんです。
転職希望地が近くにあればここまで危ないことはしなかったのですが、仕事はあるし、とにかく欲しい情報がないことに焦りを感じていました。
でもこのまま妥協して働き続けるつもりなんて、これっぽっちも思っていませんでした。
もう動きようがない!でも行動しないと始まらない!考え抜いた挙句、次の会社が決まらない段階で上司に「退職届」を出しちゃったんですよね。

行動しなければ始まらない!
大胆な行動に出たのは正解だった・・・と思う
ただこれには打算的な考え方もあって、退職までの有給休暇(約1ヶ月)の間に転職活動すれば”どこかに入れるだろう!”みたいな考えもありました。
転職活動はとにかく「足かせ」をなくして身軽になることが大事!
足かせが外れてからは本当に身軽です。何をするにしても自由に動けるのですから。
すぐさま実家(東京)に戻って求職情報を読み漁りましたし、もちろん「ハローワーク」にも行きましたよ。
でも「ハローワーク」には私のような設計技術を求めている企業は見つからず、結局、技術系求人雑誌「Tech b-ing」で選んだ企業に、今までの3年間設計に携わってきた心もとない業務実績を武器に面接を受けることになりました。
1回目の転職面接|少ないキャリアでも何とかできるものだ!
1回目の転職では、「履歴書」、「業務経歴書」の書類審査はありましたが、入社試験もなく無事に面接にこぎ着けています。
ただ焦りもありました。前の会社に務めた5年間のうち技術系業務はたったの3年だったので、この企業にそれがキャリアとして認められるかどうかです。
面接でのうんぬん話は今後お話しますが、この面接した会社は私が持っている国家資格と技術職3年というキャリアを買ってくれ、無事に採用されました。
転職した会社はあえて大手企業は避けて、前の会社と同業種の中小企業を選んでいます。
給料、手当ては前より多少下がりましたが、やりたいことができることの代償としてはこれでも良いと思いました。
理系技術社員1回目の転職記まとめ!
いかがだったでしょうか?”考えが甘いよな!”と思った方もいると思います。
でも良いんじゃないでしょうか。行動しないで一生悔やむより、失敗してサバサバして次に進む方がよっぽど有意義だと思います。
会社は畑違いの部署に配属させて、いろんな経験をさせて人材を育てる!それは分かりますが、私の1回目の転職は結局正しかったと思います。
結局「事業部開発課(仮称)」から「調査部署」に転属させられた同期が、元の部署に復帰できたのは半分で、残りの半分は残留組みや私と同じように転職しています。
転職ってこのように今後の自分の将来や家族の生活が掛かっています。
この1回目の転職では、やはり転職には「見極め」と「タイミング」が大事なんですよね。
2回目の転職記はこちらにあります。

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