今回の記事は私の「第3回目」の転職についてお話しますが、話が長くなるので2回に渡って書き綴ります。
今回の3回目の転職記事は自分で書いていても”おもしろいなー!”って思いました。たぶん理系技術者ならこんな形での転職は一生に1度しか経験できない(だろう)ことを赤裸々に書いていますから、興味のある方は読んで見てください。(笑)
ちなみに2回目の転職記はこちらです。

2回目の転職で入社した3社目の会社は良い会社でしたよ!むしろ好きな会社でした。
ですが、結果から言えばこの3社目の会社も5年間という短い期間で辞めています。
良い会社だったのに何で?相変わらずこらえ性がない?
いえいえ、転職したくて辞めたのではなく、”転職せざるを得なかった!”のです。
3回目の転職は会社のせいではなく、国の政策がガラっと変わったことで業界の景気が悪化し、その煽りを受けて他社との「吸収合併」に追い込まれたことによるものです。
私の会社も吸収合併された会社のひとつだったのです。(合併ではなく吸収合併です)
吸収合併された会社の最後って惨めなものですよ。会社が跡形もなくなるのですから。
3回目の転職決意|激動の時代から抜け出せない合併企業に見切りを付ける!
この会社では入社後数ヶ月で課長職になりましたが、やりたい仕事には就けるし若手社員に技術を教える楽しみもありました。
それに会社自体の雰囲気も良く、何より会社に意見が言える風通しの良い社風を持っていたし、他の部署との横のつながりもあって、お互いに技術を提供しあって楽しく働いていました。
この時点で私は転職という言葉を忘れていましたし、それがよもや3回目の転職をするなんて、これっぽっちも考えていませんでした。
業界の景気が一変!国の政策転換で多くの企業が力を失った
私がこの会社に入社して数年経った頃、この業界には嫌なムードが漂っていました。
この頃、国の政策に不穏な動きがあったのです。
そう・・・あのシルバーヘアの”何とか総理大臣”による郵政民営化や公共事業の縮小など、国のインフラ整備の一斉見直し、公共事業の入札制度の見直しが行われたのです。
この国の政策転換によるリスクはどの企業でもある程度覚悟していましたが、実際に国の政策転換が始まるとここまでひどくなるとは予測していませんでした。
業界の景気が一変し、仕事量が激減した頃から多くの企業が資金繰りに困り、合併や吸収合併、統合を繰り返し、廃業にまで追い込まれた企業もありました。
私の会社も例外ではありませんでした。
ひとつ例を挙げると、あの超大手企業の「横河グループ」の子会社ですら、この国の政策転換で売り上げが激減し、事業自体を撤廃して会社をたたみましたからね。
業界企業の多くが生き残りを掛け合併に追い込まれた時代!
この国の施策で私の業界はガタガタになりました。
公共工事の委託予算が前年比の半分!
まず公共事業費の縮小によって委託業務が前年比の1/2にまで落ち込み、その少ない委託業務を巡っていろんな会社が名乗りを上げてぶんどり合戦を繰り広げるようになりました。

本当にやばい時期でリストラされた社員も多くいました
価格競争もそのひとつ!委託業務の適正価格の下落
委託業務の価格も適正価格が100%に対して60%程度の価格でしか仕事が取れない!つまり、元々3,000万円の委託料だったものが1,800万円まで委託価格を下げないと仕事が取れない状況になっていました。
この業界のどの企業も生き残りを賭けて、形振り構わず会社の規模を維持しようと躍起になっていましたが、でもそれもいずれ限界が来ますよね。
銀行借り入れの金利補助もありましたが、銀行だってこの不況の中、融資を渋り始めるし、持ち応えられず淘汰される会社もありました。
弱小企業に成り下がった会社の吸収合併に至るまで経緯!
まーここまでお話すれば、私が転職せざるを得なかった!というのがお分かりでしょう。
私の会社も合併の道へと舵を切ったし、他にも多くの企業が合併への道に進んでいます。
合併は双方の会社にメリットがないと成り立たない話です。相手方の会社は自社にない我が社の技術部署を目当てに話を進め、我が社は資金的なことで話を進めています。
会社の規模は双方とも同じ規模でしたが、ただ我が社は分が悪かった!
長く続くこの不況で赤字経営が進み、自己資本比率が低い我が社に対して、相手方の貸借対照表を見ると自己資本比率が40%近くありましたから。
この経緯を説明すると生々しくなるので、結論から言えば自己資本比率での企業合併ではなく、「100%吸収合併」という形で幕を閉じたのです。
吸収合併された会社の社員の処遇と行方!
100%吸収合併された会社の最後って惨めなものです。(再度書きます)
私の会社の社長、会長はもちろん、一分の取締役が合併直後に一斉に解任されました。
吸収合併と言えば聞こえは良いですが、形としては会社が倒産して債権者が現れて実権を握ったようなものです。そこまで相手方の資本力が強かったのでしょう。
吸収合併後、会社の社名は一切残らなかったし、残ったものといえば我が社の役所に対する業務実績と「役付き天下りOB」と残された社員だけです。

ここから社員が騒ぎ始めました・・・
この合併を知って退職した若手社員もいたし、部下を見捨ててすぐさま転職した上司もいましたが、この上司ってどうなんでしょうかね。ちょっと私にはできないことです。
吸収合併された会社の社員改革は言わばリストラと一緒!
吸収合併した会社側からは部長クラス、課長クラスがこちら側に送り込まれます。
当然ですよね!こちら側は吸収合併された側ですから。
ただ、もともと別々の会社だったものが一緒になって仕事しようとしても、どうしたって会社には”今までの会社のやり方!”というものがあるし、それを相手方の会社の社風に合わせるなんて簡単にできるものではありません。
私ももう上司がいないので、相手方と真っ向から言い合いましたよ。
それが気に入らないのか、今までの仕事の運び方にケチを付けるわ、予算管理には口を挟むわ、挙句の果てには社員の態度にまでケチを付け始め、その尻拭いは残された私クラスの管理職が対応するといった感じになりました。
もちろん、もうすでにリストラ候補もリストアップされていて、早期退職者計画もそんなに遠くない時期に相手が動き出したんですよね。

まず残す社員は若手社員と有資格者を優先させ、旨みのない資格しか持っていない40過ぎの部長さんはこのリストの中に入っていました。
私は一応このリストからは外れていましたが、こんなリストを見せられたら誰だって辞めたくなりますよね。
ここで私も辞める決心をしています。私の部署全員ももう別の会社を探し始めていました。(女性社員は別です)
ただ合併と同時に部下を見捨てて、一足先に退職した上司ってどうなんでしょうかね。私は一応課長職とはいえ、部下のこの会社での最後を見届ける立場にあります。
部下に次の仕事が見つかるまで転職の世話をしたし、決まらない部下には私の知り合いの会社に頼み込んで就職させてもらいましたけどね。
理系技術社員3回目の転職記(その1)まとめ!
ちょっと話が長くなったので(その2)に続きますが、「100%吸収合併」された会社はホント惨めです。
元を正せば会社経営者の責任は大きいですが、これも時代の流れってやつですね。
ただ可愛そうだったのは若手社員と50過ぎの上司です。
若手社員はまだキャリアというものが薄いので、同じ業界へ行くにしても1からの出直しになるでしょう。50過ぎの上司は年齢的なものが足かせとなるはずです。
会社はやはり「生き物」!です。
今回の転職では、景気うんぬんで会社の行方が左右されてなくなるってことも身をもって学んでいます。
次回(その2)は、遂に「退職願」を出す!ことになりますが、私の中で思うことがありこの会社では社内フリーランスとしてさらに数年間勤めています。
社内フリーランス?何それってって感じですが、その内容は(その2)に書いています。
興味のある方は読んでみてください。

§:コメント